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ホンダT360公道復帰

ホンダT360公道復帰

T360載っている資料

昔、月刊スポークホイールと言う雑誌があった。
日本初のサイドカー専門誌で数年で廃刊になったが、内容は凄かった。
特に創刊号から中沖満氏が連載した「松明(たいまつ)をかかげて」は
濃い内容で、ホンダ創生期のバイクを細密に書いていた。

最近、T360を入手してからスポークホイールをパラパラと見ることがあった。
1990,2月14号は1962年中心に書いている。
バイク専門誌だが14号は当時の車も書いていた、これは知らなかった。
T360は特に入念に書いている。 
この号だけで中沖氏は15ページも書いている。

1962年6月、建設中の鈴鹿サーキットに全国ホンダ会員集めた内示会で
始めてT360とスポーツ360を公開した。
(中沖氏はスポーツ360と書いている、S360とは書いてない)
社員の説明は
「うちのトラックを使えば、よそさまが1往復するあいだに2往復します」
DOHCと時速100kmを最大にアピールしている。

一般に、発売されなかったスポーツ360のエンジンを流用して発売したのが
T360と書いてあるが、実際は、T360とはDOHCの時速100kmだった。

これは、同業他社は「二輪では”たまたま”当たったが、4輪では無理・・」
「どうせ二輪屋の出す4輪、ろくなもんじゃない・・・」 
これがホンダに対する当時の評価なら、本田宗一郎は絶対に
DOHC100km軽トラを作ったはずだ。 スポーツカーでは逃げになる。
軽トラが真っ向勝負の4輪。

発売してからが大変で、中沖氏は
「いざ生産となると、生産技術と量産技術のうえで未経験からくる基礎不足は否定する事ができず、また結果としてのコスト高の問題が出たりで、そのあとの四輪生産展開に、かなりの影響をあたえた」  書いている。

今回のクラッチも凝ったものだ、量産は良いとしても、
販売店の苦労は大変だったと思う。
四輪展開に影響をあたえたとは、販売店問題も大きかったのでは?
DOHC時速100kmの整備は難儀だった。
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昨日、紹介した山下さんから、当時の社内報のコピーを頂いた。
たぶん、T360、スポーツ360の企画書?なのか、
最後に「皆様の建設的で、しかも積極的な御意見を得ることによって、
 より熟成して行きたい」と書いてある。

軽四輪トラック、軽四輪スポーツ。
この呼び名が最初の名称だと思う。
それから、
「ホンダT360、スポーツ360について私達の考えた企画の根底」 
紹介文もT360が中心で量もスポーツより多いのは、軽トラなら売れそうなので
力が入っている。
諸元表も書いてあり、Tもスポーツも同じなので違う部分だけUPした。       
          T360         スポーツ360

ホイールベース 2000         1950mm
フロントトレッド  1100        1080mm
最高速      100km 以上    120km以上

サイズはTもSも同じ、しかも、よく表を見ると、最低地上高は
両車とも160mmになっている。 AHSM参加車輌を見ていると、
AKとSでは地上高が桁違いに違う、Sは車高を下げているのでAKは異常に
高く見えるが、当時の道路上状況ではスポーツもAKと同じにしないと
走行出来なかった。
しかし、軽トラとスポーツカーが同じ地上高とは・・・
 @先週土曜日に完全純粋オリジナルS引越しのお手伝いをした、
 Sオーナーさんも数名参加。
 私が「Sはオリジナル車高が一番かっこいいのでは?」
 言ったら、皆さん同意していた。
 腰高のSは美的バランスが良いと思うのは私だけかも・・・

この社内報は全文書き写したいが・・・量が多いので、ボチボチ・・
「T360は最大馬力だけでなく中速トルクの向上にも焦点を向けており充分に乗りごたえのある力をしている筈です。連続時速100kmOK,デコボコ路もOKにするには常識的な通念はあまり役に立たず、結局はホンダ独自のものにならざる得ないわけであり、実用耐久性を重視して、少し改造すればそのままレーサーとしても使えるような一般常識から数歩かけ離れたエンジンになっております・」

ホンダ始めての四輪車、「少し改造すれはレーサーとして使える」・・・
軽トラを改造してレーサー、なんか・・・当時の凄い鼻息を感じる。

(AK全種、S500~800まで最低地上高は全て160cmだった)
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